思い浮かぶ115系の姿といえば、東海道本線で2006年まで見られた、身延線から直通してくる熱海行き4432M。静岡車両区の115系3連を2本繋いだ6両編成で運転されていた。ブルートレイン【富士】+【はやぶさ】数本前の列車とあって、函南~三島間でよく撮影していた。この区間の通過は8時すぎ、冬場の低い朝日をボディで弾きながら力走するさまは、今でも覚えている。
高崎地区で活躍する115系にも、かつて静岡で見ていた姿を重ねてしまう。そんなわけで、3連を2本繋いだ6両編成を冬の朝日の中で捉えられる場所を探した。「複線区間かつ朝に順光」、唯一この条件に当てはまったのが、高崎に8時過ぎに到着する信越本線の128Mだった。
いざ撮影へ。当日は深夜に東京を出発、地図でアタリはつけていたが、初めて訪れる撮影地。夜明け前には到着し、入念に周辺をチェックした。始発列車から構図を組み、調整したものの、霧が立ちこめてしまった。1本前の電車も霧の中。これはこれでかっこいいのだが、今回撮りたい写真ではない。やがて背後の丘の上から太陽が顔を出し、少しずつ霧が晴れていった。ほぼ同時刻、「ターゲット」が安中駅に到着したのが見えた。幸い、停車時間を長めに取っているようで、なかなか発車しない。「まだ来るな、まだ来るな。」と祈りながら霧が晴れるのを待った。祈りが通じたのか、気づけば全開光線。ゆっくりと走り出した電車は、ぐんぐんとスピードを上げて迫ってきた。ここぞというタイミングでレリーズを押し込む。ひと呼吸ついたあとにプレビューを確認すれば、そこにはギラついた勇ましい姿が写っていた。
(2017年1月28日 信越本線 安中~群馬八幡)
No.2 秋田内陸縦貫鉄道AN-8800形 八津~羽後長戸呂
秋田内陸縦貫鉄道は武家屋敷が有名な角館と世界一の大太鼓がある鷹巣を結ぶ第三セクター鉄道で、1986年に国鉄から転換された。もともとは角館方の角館線と鷹巣方の阿仁合線で線路が繋がっていなかったが、1989年に両線が繋がった。路線延長は100kmに迫るが、角館方の50kmは昭和後期に日本鉄道建設公団により建設され線路規格が高く、トンネルやコンクリートの橋を駆使して真っ直ぐ山々を貫く様は独特の景観となっている。
同線を訪れたのは2020年の秋。狙いはオリジナルカラーの8804号、八津の渓谷に進路を取った。ガタガタの未舗装路を進み、河原におりて苔むした岩によじ登った。川のせせらぎと鳥の鳴き声に耳を傾け列車を待つ。ほどなくして、高規格の線路を活かしてスピードに乗った急行列車があっという間に走り去った。
(2020年10月29日 秋田内陸縦貫鉄道 八津~羽後長戸呂)
No.3 225系 和泉橋本~東貝塚
2010年に登場した225系は、2016年に0番代と5000番代に2次車が登場。勢力を伸ばしつつある521系2次車や227系と同様の顔つきとなり、「完成されたデザイン」が感じられた。
撮影に赴いたのは2016年の7月。運行開始直後の美しい姿を記録しようと、7月末に夜行列車で関西を目指した。大阪駅に着くとまずは運用調査。やはり、花形種別である関空・紀州路快速を狙いたい。他の223系や225系に混じり走っているので、なかなか運用を掴めない。しかも上記の列車は4連を2本繋いだ8両で運転されるので、2次車が先頭にならないと撮影できない。ようやく運用が掴めてきたので、候補に挙がっている撮影地へ向かう。午後に通過する関空・紀州路快速が順光で撮れる阪和線へ足を伸した。最近登場したJR西日本の新造車の行先表示器で使われているフルカラーLEDは1/800秒で写る優秀なもの。ズーム流しをせずとも、ちょっとした望遠であれば被写体ブレせずに写し留めることができるからありがたい。陽炎の向こう、夏の日差しに包まれたピカピカなボディが現れた。
(2016年8月13日 阪和線 東貝塚~和泉橋本)
No.4 キハ40系 芽室~大成
1977年に登場し、JR旅客会社6社全てに継承された国鉄型気動車キハ40系。合計888両が製造され、全国の非電化路線で見ることができた。北海道に配置された100番代(登場時)は、冷房がなく、客室窓を一段とした酷寒地仕様で、本州のキハ40系よりも屈強な印象を受ける。2010年代に入ると各社で置き換えが始まった。全国に散らばっている分、配置箇所ごとの両数は少なく、置き換えが始まるとあっという間に数を減らしていった。JR北海道のキハ40系も例外ではなく、H100形が投入された宗谷本線や室蘭本線などでは定期運用がほぼ消滅。2022年のダイヤ改正では帯広・釧路地区の根室本線からも姿を消す。特に機関換装のされていない700番代は、H100形配属で他所から転属してきた1700番代に置き換えられ、朱色&ゾロ目で人気のあった777は既に引退してしまった。
9月の上旬、旭川の自宅を出発し、三国峠経由で帯広を目指した。峠から見下ろした夜明けの樹海は、北海道と言うより、南米の奥地を思わせた。6時前に定番の大成カーブへ到着。背後の日高山脈はバッチリで、まずは貨物列車2093レを狙う。せっかくの好天だったが、機関車次位が空車で見栄えが良くない。気を取りなおして普通列車を待つ。当時話題になっていたツートンカラーのキハ40系は運用が公開されていたが、私が撮りたいのは朱色の車両。7時10分、新得初列車の2541Dが朱色の1749を先頭にやってきた。朝の列車を見ておけばその日の運用は掴める。この日は1749番を追っかけることにした。
(2021年 根室本線 芽室~大成)
No.5 東京地下鉄2000系 四ツ谷
2019年2月から運行を開始した東京地下鉄2000系。銀座や新宿といった、東京のなかでも名の知れた拠点を結ぶ丸ノ内線とあって、東京地下鉄の意欲作となった。車端部の丸窓や、携帯電話などの充電ができるコンセントを備えていることが特徴であるが、なんと言っても真っ赤な車体に、丸ノ内線のシンボルとも言えるサインカーブの模様が目を惹く。
2020年の12月。転職活動が無事に終わり、大学進学時から10年間暮らした東京を離れることになった。苦い思い出もたくさんあるが、離れる街の景色は名残惜しく、仕事の合間を見ては近場へ撮影に赴いた。愛着がある路線のひとつ、丸ノ内線は、西武池袋線沿線に住んでいた私にとって、池袋から東京駅への最短ルート。新幹線で地方へ出かけるときなど、数え切れない程利用してきた。
せっかく素敵な新車が入った丸ノ内線、鮮やかな車体を地上区間で捉えたい。日中のダイヤパターンだと四ツ谷駅で上下の列車がすれ違うので、去りゆく02系との並びを狙うことにした。ホーム上屋の影に吸い込まれていく荻窪行きの02系にかわって、池袋行きの2000系が走り出した。
(2020年12月17日 東京地下鉄丸ノ内線 四ツ谷)
No.6 キハ66・67系 東園~大草
長崎本線は鳥栖から佐賀を経由し長崎へ至る路線だが、喜々津~浦上間は長与経由の旧線と肥前古賀経由の新線にわかれている。トンネルや高架橋により山間部を貫いている新線では特急「かもめ」や「シーサイドライナー」が疾走しているのに対し、大村湾に沿った昔ながらの旧線は普通列車のみが走る。こちらは電化されていないこともあって、同じく非電化の大村線と一体的な運用が組まれ、キハ66・67系気動車が充当されていた。キハ66・67系は山陽新幹線の博多開業にあわせて作られた車両で転換クロスシートを装備するなど、急行列車での運用も考慮した豪華な内装が自慢である。顔つきがキハ58系と同じとあって、キハ66・67系には急行色がよく似合っていた。
九州を訪れたのは2019年のゴールデンウィーク。当時既にYC1系が登場しており、置き換えられるキハ66・67系を撮るならばこのときがラストチャンスだと踏んでいた。滅多に行ける場所ではないため、九州各地を回った最終日、ようやく長崎地区での好天と、急行色の編成が良い運用に入る日が重なった。早朝から風景や編成カットを撮り重ね、昼過ぎに俯瞰へ上がった。5月とは思えないほどヌケの良い日で、ミカン畑の合間を縫う道路からは、雲仙普賢岳がよく見えた。13時17分、透き通る大村湾に沿った築堤に急行色が映えた。
(2019年5月7日 長崎本線 東園~大草)
No.7 函館市企業局530号 十字街
路面電車が走る都市は憧れる。函館は明治時代の開国の歴史を伝える港町の景観や貴重な建造物が多く残されており、路面電車はそれらの観光地を結んでいる。なかでも1950年製造の500形530号は登場当時の塗装を保っており、渋い外観は街並みに良く似合う。積雪のある朝は毎日のように始発列車として運行され、車重とパワーを活かして線路の氷を割りながら進み、続々と出庫する後輩たちの道を切り拓いている。
友達に誘われてササラ電車の駒場車庫撮影会&貸切走行に参加した日、早朝に二人で宿を抜け出し駒場車庫へ向かった。530号の出庫を撮影後、十字街でカメラを構えた。背後は1923年築の旧丸井今井百貨店函館支店で、現在は地域の交流施設として活用されている。
(2022年1月17日 函館市企業局 十字街)
No.8 キハ40系 牧山~玉柏
全国区気動車とはいえ、大都市近郊は電化や新型車両への置き換えが進み、長編成のキハ40系がターミナル駅に乗り入れる光景は珍しいものになってしまった。岡山の津山線では944Dが唯一、津山方面行きの4両編成として残っており、これもいつまで残るか保証はなかったから、撮れるうちに撮っておくことにした。案の定、この写真を撮った翌春のダイヤ改正で4両編成は消滅してしまった。
梅雨入り前、全国で唯一晴れが続いていた中国地方めぐりも最終日。前日の夕方に宇田郷を出発し岡山道を経由して未明の津山で高速を降りた。途中で道を間違え違う山に登ってしまったが、線路に日が当たる頃に山頂へ辿り着いた。お目当ての列車まで3本くらい来るので、アングルを変えて牧山の集落を絡めたりアップで撮ったりして待ち時間を楽しんだ。待ちわびた944Dはオールタラコ色!進行左手に迫る山の向こうに岡山の市街地が広がっていることなど乗客からはわかるまい。車窓からは見えない景色と列車を絡められるのは俯瞰撮影の面白いところでもある。
(2019年6月6日 津山線 牧山~玉柏)
No.9 伊豆箱根鉄道3000系 三島二日町~大場
当たり前の光景は思わぬ形で貴重で手の届かないものになってしまう。「いずっぱこ」こと、伊豆箱根鉄道駿豆線は私の実家から自転車で10分のところを走り、初めてカメラを向けた鉄道。東京から乗り入れてくる特急【踊り子】はもとより、オリジナルの車両が走っているのが魅力の地方私鉄。主力車両である3000系の製造初年は1977年だが全車が現役。長生きの秘訣は、眺望に優れた前面の大きな窓や当時は珍しかったワンハンドルマスコン、当初から備えている冷房装置など、先進的で現代でも通用する電車に仕上がっているからだろう。さて、そんな3000系だが他の地方私鉄同様に企業の広告やアニメのラッピングを施された車両が2010年頃から増え、一時期は無装飾でオリジナルカラーの編成が消滅した。私が高校生の頃まで見ていた青と白の3000系鋼製車は瞬く間に貴重なものになってしまったのだ。
2019年の秋、3504編成が全般検査で大場工場に入場。やがてSNSにあがった写真を見ると無装飾で走っているではないか!これは営業運転を開始したらすぐに撮りに行きたい・・・。富士山が見える日を狙って沿線に駆けつけた。出庫から追いかけて昼前には三島二日町のストレートへ。検査明け艶々のボディは美しい。この数日後、新たな広告が貼られて無装飾の姿は再び見納めとなったのだった。撮っておいて良かった。
(2019年11月5日 伊豆箱根鉄道駿豆線 三島二日町~大場)
No.10 三陸鉄道36-700形 三陸
地域から愛されている鉄道会社はどこかと考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは三陸鉄道。もともとは国鉄の赤字路線で未開業区間はおろか、既に開業していた区間まで廃止されそうになっていたが、岩手県や沿線自治体の手によって未開業区間を開業させ、第三セクター鉄道として全線開業に至った。そうした経緯もあってか、東日本大震災からの復活劇は全国ニュースになった。JR山田線の沿岸部が三陸鉄道に移管された際に私も訪れたが、沿線には旗をもった住民が詰めかけ、車窓を賑わせていた。
2014年の春、桜前線を追いかけて北へ向かった。船岡城址公園で北斗星を抑えた翌日は、3年がかりで南リアス線が全線運転再開を果たした三陸鉄道へ。おめでたい雰囲気が伝わる写真を撮ろうと沿線の駅を巡っていたら、三陸駅のそばで桜が咲いていた。ここなら列車と横断幕も入る。今回は乗れなかったので、お祝いの気持ちをこめて釜石駅に立ち寄り、入場券とグッズを買って帰路に就いた。
(2014年4月20日 三陸鉄道 三陸)